始まりは投げやりでよい

カンヌ、ベルリン、ベネチアの国際映画祭で賞をとった天才エミール・クストリッツァは、とある作品のなかで「This is the beginning of beautiful friendship」と何度も言う。

 

なにかが始まることは、基本的には祝福していきたい。そういう方針だ。

 

ただ、「なにかを成し遂げたい」、そんな感じのときは、どうも形式的に見栄えがよくならないと開始できないところが、自分の中にある。

 

やる気がなくても始めれる達人になりたいものだ。メールがまだ何件か書けていない。

退屈の限界

名古屋系の喫茶店のこじんまりとした席で書いている。

 

退屈だ。いや、やらないといけないことはたくさんあるのだ。それでもだ。

 

退屈の限界とはなんなのだろうか。臨界点を超えたら、かえって行動に出るような気もする。

 

腹がふくれたこともこの情勢に貢献している。名古屋系は量がなんでも多い。一回、喫茶マウンテンに行ってみるといい。

 

「いつでも機嫌がよい」と同じように、「現状を超えた挑戦を続けたとしても、退屈はやってくる」はあり得るのだろうか。

 

眠くなってきた。食べすぎたことを反省しよう。

 

手紙を書く仕事がいくつか残っている。手紙を書くのはいつもめんどうだ。楽しいことはたいていめんどくさい。

 

才能とその運用について

顔と中身は一致するのだろうかとよく考える。顔が怖い人は、他者から恐れられるような内面を持っているのだろうか。確率はどれくらいなんだろう。

 

「美人は性格が悪い」と人類で言い出したのは、おそらく美人でない方々だろうから、まあ、それは置いておいて。

 

近いところで、10年以上、考えていることがある。才能があった場合にそれは必ず運用されないといけないのだろうか。

 

前提として、才能がある場合は、それで飯が食えるなら、続けていきたいと本人が思うこととする。

 

問題は、才能があって、飯が食えていたとして、本人がその分野にやる気がない場合である。つまり、資産を自覚しているけれど、運用する気がないケース。

 

テレビで流行った「美人すぎる~シリーズ」は「美人であるのならば、もっと他の活かし方でもよかったんじゃねえの」という意味を部分的には含んでいる。

 

バスケの神様、マイケル・ジョーダンは途中から野球を始めた。どう考えてもバスケの神様はバスケをやってたほうが稼げるし、能力を最大限つかえているのにだ。

 

世の中には想像以上に才能がある人たちがたくさんいて、日常でも気をつけて見ているとびっくりすることがよくある。

 

個人的にいちばん多いのは、頭が信じられないくらいいいのに、それに自覚的でない人たち。「私は馬鹿なので」と本当に自信がなさそうに言うのを見ているとなんとも表現しづらい気持ちになる。

 

話があきらかに脱線し始めている。無理にまとめる気もないとしても、書いていけば、結局は運用の方法なんて本人が決めたいように決めればいい。

 

たぶん、そこにある一種の不合理性を私が消化できてないだけだ。どうも心のどこかで不経済を感じてしまっている。

 

資産の運用の仕方なんて本人の問題だ。ただ、見ているともったいねえなあと感じることが多々あるから、書いておきたかったのだと思う。そこに豊かさや自由があるのもわかってはいるのだ。可能性も。

 

映画『ガタカ』のように、遺伝子の研究が進んで、出生前に病気のリスクやあらゆる才能が予測できたとしても、それでも人は自らの資産の運用方法をわがままに決めるんだろう。

 

いちおう、病気のリスクくらいなら最近はわかるようになってきているらしい。データ、合理性、経済性に人間がどこまで従うのかは気になり続ける。

 

背が高ければ、バスケの適正はあるていどは高いといえる。でも、別にバスケをやる必要はない。足の早い人は、走ったほうがいいのか。頭がいい人は、頭を使ったほうが幸せになれる?

 

おそらく、これはサンクコストの話のように思えてきた。可能性のサンクコストだ。背が高い人がバスケを選ばなかったとしても、背は縮まない。バスケの可能性を試せなかっただけである。それが選択というものか。そこにおいての意思と呼ばれるものは、なんなのだろう。

 

そこらへんで筆を置いておきたい。

普段の荷物は多く、貯蔵は少なく

ノートパソコンの充電が終わるまでに書く。

 

目の前にあるものを取り扱うことで限界だから、ふだん身の回りにないもには触れることがない。つまり、管理の範疇に入っていない。

 

失せ物も多いせいで、手ぶらで外出することはない。軽い用事で出かけるときでさえ、40Lのデイバッグを背負って家のドアを開ける。

 

自然と、デイバッグのなかに入っていないものは取り扱わなくなる。本も、机のうえに置いてあるものしか読まなくなる。

 

本棚は貯蔵のためにある。移動することの多い人生だから、いい加減、本を捨てようと思う。同様に服も。

 

日常生活で使う範囲のものはすべてデイバッグに詰めておいて、普段の貯蔵は簡素なほうがいいなと気づいたのだ。管理できない範囲で貯蔵をしておいても仕方ない。気づいているものしか取り扱うことができないからだ。

生きるうえでいちばん大切な、という前提

お世話になっている方の講義に呼ばれた。大学2年生の前で5分ほど話をした。

 

以前から私は「自分より年下の人たちに、アドバイスすることなど、まったくなにもない」と主張し続けている。

 

それでも、無茶振りというせっかくのご好意を無駄にするわけにもいかないから、無理やりなにかしら喋ってみようと思ったのだ。

 

正直なところ、生きるうえで大切なことは、前提として、存在しない。誰が決めるのだ、そんなもの。

 

信じたいものは、自分で決めてください。

 

だから、「生きるうえでいちばん大切なことは、自分にとって大切なことを自分で決めれるようになることです」と大声で言った。

 

勉強を続けていく意味(価値)は、ひとつはそこにある。価値観の種類も増えるだろうし、増えれば、真実と感じられるものが複数でてもくるだろう。

 

そんなときに、大切なものは、自分で決めれるようになっておいたほうが、なにかと健康的だよということ。

 

誰かしらのアドバイスを聞いたとしても、誰かしらに決めてもらったとしても、それを実行している自分は最後まで存在するから。

 

↓けっこう近いことを言っている

lastwords.hatenablog.com

 

 

 

 

天気の熱帯

暑い日が続いて素晴らしい。

 

天気の話をすると、好きなのはうだるような暑い日だ。洗濯物がよく乾くような日差しの強い天候。

 

好みや人格は、高校生のときに触れたものからの影響が強くて、ガルシア=マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』のラストシーン、主人公と昔の女性が海を眺めながら農場で語り合う場面の蒸し暑さは心に残っている。

 

たぶん、熱帯に憧れがあるんだと思う。

 

いまは手元にないから引用できないとしても、いつかここに書いておきたい。それくらい印象的な会話なのだ。ああいう女性と自分も何度も会ってみたい。

 

まだ蒸し暑い日が続いてほしい。天気がよいということは、私にとっては、馬鹿みたいに晴れている日。

 

 

現状の整理(2017年05月19日)

【ざっと書く】

・英語の勉強がだるい

・海外にはたぶんいけることになった

・明日またテスト

・勉強してない、いや、してはいるが不十分

・書く場所が欲しい、英語を

・習慣を変えていかないといけない?

・美しい文章が書けるようになりたい

 

【怒りのポイント】

・ないと言えば、ない

・英語の鍛錬が本気で怖いくらい

・現状に腹が立っている?

・もっと自由を構築していきたい

・自由とは?

・コミュニケーションで困りたくない

 

【方針】

・コミュニケーションを軸にして試しに動いてみる

・象徴性を無視して、もっと事実について考えたい

・それでも、物語性は大切

・お金をかけずに人と接するにはどういう点、方法があるだろう?

・意外と、いろんな人に私を知ってほしいという欲求もあるのかも

 

【最後に】

収拾がつかなくてもよい、やり残したことを考えるのは愚考で、未来を考えたほうが100倍マシ

 

 

「もう生きてはいけない」と「いますぐ死ぬことはない」は何が違うのか

頻度高く絶望をするので、もう生きてはいけないのではないかと思うことがある。ただの感覚だけの問題ではある。小さいころからショックを受けるとそんな気分に良くなっていた。

 

一方で、ここでなら生きていけるな、いますぐ死ぬことは絶対にないな、と思うこともある。

 

両者の違いについて考えていきたい。

 

原因について話そう。

 

もう生きてはいけないのではないかという感覚は、本質的には「他人とうまくやっていく自信のなさ」からきている。

 

いますぐ死ぬことはないという確信は、「他人と交渉をすることができる余地があること」からきている。

 

第一に、感覚として、他人を拒絶し始めるのは私からだ。取りつく島もないと諦めるのはいつも自分からなんだろう。

 

ドイツのことわざに「にもかかわらず笑うのがユーモアである」とある。『モモ』を書き残したミヒャエル・エンデは「にもかかわらずというところに希望がある」と『オリーブの森で語り合う』で発言をしている。

 

他人に関して期待しないことは大切だ。コミュニケーションが苦手な人には特に。

 

しかし、会話をするだとか、他人になんらかの形で「アクセスすること」を忘れないようにありたいと思う。

 

 

曇りの日に出かける

目標は達成できた。あとは、後処理。

 

昨日や一昨日と違って、今日は天気がよくなかった。曇りだ。外に出たら風も強く、湿度も高い。雲もいやな感じだった。すぐに降り出すように見えた。

 

ここのところ、気を張りっぱなしだった。リラックスする時間が作りたくて、喫茶店を探して歩いたけれど、見つからず。近所のパン屋でメロンパンとコロッケパンを買い、少し移動して公園でのんびりすることにした。隣接する野球場では、スポーツ少年団がノックの練習をしている。ベンチで食べていたら、目の前を柴犬の散歩をしているおじさんが通り過ぎる。年老いた様子の犬を目で追っていたら思わず笑みがこぼれた。

 

影を作っている初夏の木々は、風に吹かれてゆさゆさとゆれている。気温も出かける前よりは心地いい。コロッケパンの油と刻まれたキャベツのバランスがよく、足をだらりと伸ばしこうやって過ごす時間が幸せと呼びたいものなんだろう。忘れないでおこうと思った。

 

天気がまた崩れてきたため帰宅。チャーハンをまた食べて眠くなったから昼寝をした。起きたら土砂降りの雨だった。束の間の幸福だったのだ。必要だと思って作った時間だったから、それでよいのではあるが。

 

雨が振りそうだとしても、出かけたいなら私は出かける。降ってきたならすぐ帰ればいい。勇気も頭脳もいらない。ただ、出かけたいなと思うだけだ。インドア派とアウトドア派が世間にはいる。人間はどちらのほうが多いのか。刑務所が世間的に嫌なイメージを持たれているのだから、幽閉は人間には向いてなさそうではある。

 

 

創造的絶望を創造的に創造する

またうまく書けていない。じょうずに書こうとするから書けない。だらだらと書いていいのをよく忘れる。誰からも特に期待されているわけではない。批評の目がいちばん厳しいのは自分だったりする。

 

絶望すればふんばって先に行きやすい。いまは近いところに絶望が見当たりしない。絶望が見つからないことを絶望とすればいいのではないかと思い浮かんだ。よくわからないけれどそういうアイデアがひらめいた。

 

心理的抵抗はつねにあり続ける。ないとよくわからない。時間をゆっくり流す感覚でまた白い画面と向き合えばそのうち書けもする。そういうときはなんだか浜辺でいったりきたりする波を眺めている心境になる。波はそれぞれ個別なのか。すべて一緒の動きをするわけがない。ひとつひとつにIDを振れたらいいのになとぼーっとしながら思う。海という生態系で波は個体ごとに重複がないものなのか?

一段落とは主観的なものである

ひとまず山は超えた。たぶん。

 

「一段落ついた」と気持ちがなるのは、まったくの主観での一区切りだとわかった。

 

終わりというのはいつでも人工的なものだ。生理学的な死くらいなんじゃないか。自然に感じれるのは。

 

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自転車でコンビニを往復するときに、自分の臆病さ、弱さが身にしみてきて涙が出てきた。怖いことばっかりである。

 

ふがいなさを感じることは、「無知の知」に結構ちかい。ちょうど武術を学ぶときにどれだけ自分が至っていないかを学ぶことが学習進歩のキーであるように。

 

ゲームが上達しやすい人の特徴についてもそれは言えて、大切なことになるのは「自分の実力が正確に把握できていること」だ。強力な勝利の原動力になりえる。自分の身の丈がわかっていれば作戦も立てやすく、勝ちやすくなるかはわからないけれど負けづらくはなる。勝負として相手からしたらとても手強くなる。

 

自分がどれくらい弱くてどれくらい強いかを感覚としてもてるような人は、だいたい他分野(違うゲーム)で突き詰めた経験を持つ人だ。上級者同士の戦いになると、力量がたいして変わらなくなるから往々にして高度な心理戦となる。その際に重要になるのが「自分がどのような戦力か」を精密に知れているかどうかなのだ。

 

最強である必要は必ずしもない。自分の価値のなさ、強みが発揮できる場面などを理解していれてれば十分。狙いが戦いのなかで持てることは勝敗にあたりまえのことだけれど直結する。

 

そんなことを考えていた。まあ、そういう意味では私はすごく、弱い。

 

風も強い日だったから、散り始めた桜が道の上で渦を作っていて、そのなかを時速16kmで走り抜けていく。今年の花見はこれでいいやという気分になった。

書けないときの状態で考えていること

ある文章を書けなくなってはや3日。8時間×3日と考えると24時間は「書けていない状態」が続いている。

 

あらためて考え直してみると、まずいことはひとつも起きていない。

 

この「起きていないこと」はとても大切なことだ。具体的に言えば、「私の外的な環境で何かしらが起きているわけではない」ということなのだ。私の認知する範囲で、私が書けないことが原因でどこかの火山が噴火したとかはさすがにない。

 

「書けない状態」は、あくまで私の内的な現象にすぎない。

 

ソフトウェア面(精神的な部分)とハードウェア面(物理的な部分)で考えるとする。たとえば、「締め切り」は完全にソフトウェア的な縛りである。書くときの精神的なつらさや不安は、私のなかでのみ起こりうる。この世でハードウェア的な締め切りがあるとすれば、身近なものだと寿命くらいなものだと思う。

 

端から見れば、「書けてない私」が本当に書けてないかどうかなんて理解不能だ。外的に判断可能な現象ではないのだから。もちろん、アウトプット量でいればゼロなのだから、わかりやすくはある。それでも、必ずやらなければならない精神的な締め切りなどやっぱり存在しない。肝心のハードウェア的な締め切りである寿命は残念ながら自ら知ることのできないものである。

 

こうして、書けない状態の私は、私の外面がここ3日間なにも変化してないことを知ることになった。

書くことは豊かなのだが説明するのが難しい

書く時間は間違いなく豊かだ。ただ、説明するのが難しい。

 

真っ白な猫がベッドのうえで、うとうとして眠りに落ちそうになっている。日向ぼっこの途中で、気持ちよくなってきたからだろう。頭を撫でると目を細めて喉を鳴らす。なんだか気が抜けてこちらまで和む。

 

いま目の前で起きていることを書いているだけで、よい現実逃避ができている気になる。

 

重視したいのは、可能性を感じることで、これを諦めてしまったらひとつの人間の死だと思う。無知の知は、知らないことがたくさん広がっていることを世界観に感じさせてくれる。

 

可能性を信じることは、豊かさを感じることとかなり近い。「存在のあり方の種類において問題とならない範囲が広いこと」と、「未来にありうる事象の種類が豊富であると予感できること」が似ているからだと思う。

 

それらにおいて、書くことは相関性が高いはずだ。でも、それがうまく説明できない。たぶん、書いている途中は、書いていることによって、何が起こるかわからないという戦いに打ち勝ちたいだけなのかもしれない。

 

読者の存在も、可能性を感じることに寄与しているはずなのだけれど、違う方面から考えたい。問いを立てるとするならば、なぜ書いている途中に豊かさを感じるのだろうということ。それがわからない。下手をすると、「届く可能性」について感じているのかもしれない。その場合、読者のことに関する問題になる。

 

書いてよい範囲が広大であるから豊かさを感じるのであれば、表現における自由さから感覚を得ていることになる。

純粋に近く感じる欲求と不安を紛らわすだけの欲求

タイトルとして、「絶望不十分」の最後でも書いたけれど、本物っぽい現実逃避と嘘っぽい現実逃避があるのではないかと考えている。

 


それらは「欲求」を装っているから、どちらも、あたかも自分がしたいかのように感じるのだけど、それはやっぱり感覚であることが限界で、放っておいても問題にはならないことがほとんどだ。

 

眠かったとして、それは純粋に生理的欲求で眠いのか、テスト前で不安を紛らわせるため(言い訳を作るためでも、不貞寝でも)眠いのかは、判定をしていきたい。見た目がそっくりなのだ。知覚上、眠いという感覚は同じものといってもよいのだから。

 

判定をするためには、判定基準が必要だ。なんにすればよいのだろうか。「これからなにかしらを成し遂げようとしている」なんてときに眠かったら嘘だから、笑顔でそれを扱うかとかにしようか。

 

もともと、不安からくる逃避行動って、不安の根源への直撃を避けている行為だから(テストで自分の無力を味わいたくない...etc)、実は逃避行動そのものを違うことに置き換えれちゃったりするのではないかと考えている。

 

不安が怖いからとりあえず寝てしまおうという眠気の欲求があるなら、それは他の行為で解消できると個人的には思っている。最近は、緊張していて眠いときは、筋トレをするようにしている。気分的にはすっきりする。不安を材料に体を鍛えれるというサイクルはわりと好きだ。

 

それか、いま書いているみたいに執筆をするか。いつまでたっても不安の大元に直撃しないのだから、早くテスト勉強に戻ろうとは思っている。思ってはいるのだ。

IELTSのWritingのエッセイでよく使う表現まとめ

[経済系]

aid

investment

grant

venture

finance

material

equipment

facility

infrastracture

basis

ground

support / help / provide / assist

local

industry

develop

convenient / convenience

inconvenient / inconvenience 

progress 

unemployment / lack of education / hunger / crime / poverty / corruption / diseases

commerce

developing / industrializing

developed / industrialized

urbanization / depoplation 

population

agricultural product

leader

doctor / nurse

chain reaction

The advances in science and technology

integrated economically, socially, politically and culturally through the advances of technology, transportation and communication.

gorvenment / administrations / rule institution

abstract(theoretical) - real(concrete) / exact - inexact / realistic - unrealistic(unsound)

 

[効率系]

effective

productive

productivity

efficiency

optimization

performance 

convenient

 

[教育系]

measurement

methodology

learning process

enrich

educational level

high educated

diversity

cultural

criticize / blame

praise / acclaim

self-esteem

wealth

interaction

role

nations

international trade

worldwide economic

good / virtuous circle

good / vicious circle 

 

 

[文頭でのつなぎ系]

Such impact / effect is

In this way

Under this circumstance / situation

In such Nown

 

[段落頭でのつなぎ系]

In addition

Moreover

Furthermore

Similarly

 

[段落頭での逆説系]

Despite the argument above, I believe that

However

Although that fact / evidence

 

[文頭での〜の観点で、〜については]

In terms of 

In respect of

As for

Regarding

Concerning

 

[〜を上回る]

A Overwight B

A Exceed B

 

[重要系]

Important / Importance

Nessesary / Nessesity

Significant / Significance

 

[本質系]

Essential / Essence

Main factor

Key

True nature

Substantial / Substance

crucial aspect 

 

[足りない系]

Lack

Shortage

 

[手段系]

Way

Mean

Alternatives

method

methodology

practice

plan 

tool

cycle 

balanced approach

step

system / architecture / construction / proportion / composition

 

[賛成系]

agree

admit 

concede

accept

 

[問題系]

problem

issue

matter

 

[原因・理由系]

reason

cause

root cause

origin

something cause / lead to / result in

 

[結果系]

impact

effect 

result

influence 

something is caused by

somethings result from

 

[例えば系]

for example

for instance

specifically

something is the best example of

 

[Some people は主張してる系]

say

contend

claim

argue / argument

assert

allege

heated debate

Most people seem to forget all

 

[促進させる・成長させる系]

boost

encourage

strengthen

increase

grow / growth

advancement

 

[確かに〜 でも系]

Certainly

Admittedly

Actually

 

[最後に〜系]

In conclusion

to conclude

to sum up

 

[能力・技能系]

Skill

literacy

ablility

proficiency

experience

 

[個人的にはこう思うよ系]

I think personally that

in my opinion

from my perspective

I believe

 

[重視するよ・してよ系]

play an important role

should be more aware of 

give priority to

regard / see someting as important

emphasize on

value

think much of

take something [more] seriously [than]

focus on

attach inportance to

take account of

give full weight to

will continue

 

[〜な傾向あるよ系]

tend to

be likely to

be prone to

be apt to

tendency / trend

custom

 

[よく見られよね系]

Nowadays, something becomes big issue / main factor 

Some people argue that A, while B

There is no doubt that

It is clear that / clearly

It is common that / commonly

It is often seen 

It is ture that 

people cannot deny

no one can deny

we cannot deny

none of us can deny 

It is acknowledge that  

Everything has two sides and the globalization is not the exception

 

[最近は系]

Nowadays

In the present age

recently

 

[有益系]

worth / worthwhile

value / valuable

profit / profitable

merit / meritable

usuful

helpful

benefical

positive

good cycle

 

[無益・有害系]

detrimental

harmful

useless

negative

adverse

vicious cycle

 

[ちゃんと系]

reasonable

fitting / suited

advisable

suitable

relevant

proper / properly

correct / correctly