諦めるときの基準がほしい
また一つ諦めた。Amazonでタイムセール中のUS配列キーボードだ。
理由は「必要であると確信できないため」だ。
それは、なんとなくのものである。「同額を違うものに投資しなおしたかった」とかも原因に入る。
そのなかで、目的から考えておけばよかったな、と思う。
キーボードの目的とはなんだろう? ふんわりな判断になったことは、そこを考えないところからも来ている。
結論からいってしまえば、よい入力装置があればよいプロダクトが生まれるという思い込みがあることに尽きる。
作業環境まで含めると、椅子を厳選したり、部屋の空気や普段の食事まで気を配るのも入っていくのだろう。
タイムセールのキーボードを買わないということは、元からあるラップトップのキーボードでプロダクトを作るということや、もっとよいと自分が信じれる入力装置を買うなどの選択肢になっていく。
もう1点あるとすれば、優先順位の問題。
いまは本を読んで文章を書くことに集中する生活が送れていて幸福だ。
文章を書くうえで、ペンや紙、キーボードは優先順位があがる。だから買おうとすることは自然なことなんだけど、なんだろう、そこはまだわからない。
「よいと思われる道具を使っていれば、気分はよくなり、アウトプットがより多くできるようになる」。そこに投資するのは健全だ。喫茶店じゃないと作業できないって人もいるくらいだし、気分の問題は見過ごしてしまいがちだけど、本質に近いときもある。
いまは、もっとお金を貯めて作業環境にお金をかけれるようにしようという意図でUS配列のキーボードは買わない。
書いておきたいのは、その判断が、なんとなく行われたことだ。今後は、「購入の目的」と「優先順位の問題」を片付けてから行動に移りたい。
本当は購買なんて感覚でいいじゃないかとも思う。買い食いなんて典型だ。でも、寿命に不安がない状態であるのならば、気をつけてないと先に尽きるのはお金だ。もっとお金の心理に詳しくなりたい。
判断することまで広げると、物事を決めることには基準がある。無意識であれ自覚的であれ。
諦めるときに、言葉をもっと増やして諦めるようにしたい。