本当に「○○放題」は無限か考えてみた
本読み放題サービス、Kindle Unlimitedが、月額980円でAmazonから開始された。
本好きな人からすれば、読み放題なんて言葉は魅力的に映るだろう。
世の中には他にも、いろいろな「○○放題」がある。
どんなものがあったかなと、のんびり考えてみた。
それらは本当に無限なのだろうか?
1.食べ放題
「2時間以内なら、寿司食べ放題」など。
基本的に、時間制限によって成り立つ。
文字に直してみると「制限時間の中でなら、対象は無限になる」という、少し中二病すら感じられるものになる。
忘れてはいけないのは、たとえ寿司が無限になったとしても、胃に入る量は有限なことだ。
これはトリックで、「食べ放題」と聞いた瞬間に、私たちは自らの肉体が限りあるものだということを忘れる。
まとめると、食べ放題は「対象は無限、時間は有限、身体は有限」。
食べ放題とは、時間制限つきの権利のことだ。私の身体が無限に寿司を食べることができるわけではない。
2.パケ放題
いわゆる、データ通信に対する放題。「どれだけ使っても月4,500円」など。
食べ放題の違いとしては、肉体に負担がないことが挙げられる。
この場合、制限があるとすればインターネット回線などのハードウェアへのものになる。
ハードウェアは肉体と同じで、限りあるものだ。
パケ放題は「対象は無限、時間は(実質)無限、ハードウェアは有限」。
権利をお金によって買っていることは、食べ放題と変わらない。
3.生き放題
いわゆる、人生。『もののけ姫』なら、「生きろ。」など。
特徴としては、
・時間は有限
(いつ終わるかは不明。人間は寿命も死そのものも知覚できない)
・身体は有限
(身体にできる範囲なら前提としては自由に行える)
・対象は人による
(人によって「生きている」と感じるポイントは違う)
まとめ
ざっくりとだが、この世界にある「○○放題」とは無限ではないことがわかった。
「○○放題」とは購買活動において、権利を獲得しているだけなのだ。
身体やハードウェア次第なのも、無限ではない理由に一役買っている。
この世に存在するものは有限だからだ。
最後に
そして、「生き放題」は、経済ではなく政治的な問題だということがわかった。
生きる権利は誰かから購入しているという話をしていくと、コミュニティや国家の話になっていくからだ。
でも、そんなことを言ったら、生きる権利なんて生まれたときにあったんだろうかとも思う。
まあ、人生に元から「何に価値を感じればいいか」なんて設定があるわけではない。
その意味で、人生に意味なんてない。
生き放題のなかで、なにを「生きたとするか」は、個人によって勝手に決めればいい。 旅に価値を感じる人もいれば、ビジネスの成功を至上とする人もいる。
生き放題ではあるんだから、人生を謳歌しろってことなんだろうか。