来ない完璧、来る不完全

よっしゃやるかとブログを始めてみて、いまだに納得がいく更新ってあんまりない。

 

大作を書いてやろうと初期は思っていた。待てども待てどもよいものができない。毎日更新することを重視して内容は二の次にすることにした。いつかは納得がいくものが書けるでしょうと、待っている。

 

自意識過剰な人間にありがちなことがある。書いている間、「こんなものを世の中に出していいのだろうか」と内部批判が続くのだ。更新したとして、ああでもないこうでもないと添削したり非公開にしたり時計の針だけが進んでいく。

 

さすがに気づいた。書いているときに、「本当にこれはよいものなのか悪いものなのか」と考えることそのものが「偽問題」なのだ。

 

偽問題とは、問いが前提として間違っている場合である。問題の設定がおかしいのだ。予めの考えるところが「偽」なのだから、答えも「偽」しかない。たとえ真に思えるものであっても目的地が間違っているからゴールに着いても意味がないのである。

 

書くことの本質は、書かれていることにある。当たり前だ。大事なことは「書けないこと」ではない。迷っていたほうがいいケースは存在しない。乱暴に言ってしまえば、正しいか正しくないかなんて後で考えることだ。