書くことがないなら、あいうえお作文でもすればいい
毎日の更新をいちおう、目標にしている(今日で21日目連続)。
書くことがないってことは、厳密にいうと、ありえない。
友人に「それはさすがに嘘だ」と言われた。でも「本当にないなら、あいうえお作文でもして記録をつけたことにすればいい」とそのときは言い返した。
【きょうのできごと】
・あ 青い空が広がる暑い日でした。夕方になっても夜になっても蒸し暑い。
・い インド哲学を専攻していた親戚が、年内には東京に来るそうです。
・う 上野でシャツを買おうと電車に乗っていたときに思い出した。
・え 「エモさ」について友人と話した。もしかして芸術以外のシーンでも使う?
・お 大阪の松尾モノさんの個展、行きたかった…。
という風に、「きょうのできごと」というテーマで、あいうえおのフレームに要素を埋めていけば、それっぽく一日を思い出すことができる。
書くことがないんじゃなくて、「アイデアをひねり出す枠組み」がないだけなのだ。
思考の抽象度が高いことはよいことだ。
でも、自分の目に本当は何が映って何が動いているのか、ぼーっと眺めてみるのもたまにはいんじゃないか。
観察するまでの集中はしてないまでも、ちょっとずつ小さく見ていけば、昨日と同じ今日なんてないこともわかる。
それってつまり日々をよく見てけば、退屈しないってことになるんだけど、どうなんだろう?