生産性の定義は「短時間に大量のタスクをこなせるか」ではない
以前までは、生産性を「少ない時間でいかにたくさんのタスクをこなすか」で考えてた。
でも、それは歳をとって変わってしまった。
いまでは「いちばん大事なことを決めることができる」になった。これがいまの私の生産性の定義だ。いちばんだけでいい。たった一つで十分だ。それ以上はない。
いちばん大切なものを自分で決めることができる能力。それが、生産性なのだ。
残りの人生を考えたときから感覚が変わった。悪いんだけど、余命から考えると大切なことしかやっていけない。
書いていてついでに思い出したことがある。
それは、「考える」とはどういうことかについて。
2005年に、アメリカの作家David Foster WallaceがKenyon大学で行った卒業スピーチから引用する。
「自分の頭で考えられること」というのは、「自分の頭で考えられるということは、何について考えるか、ある程度自分でコントロールできる術を学ぶこと」を端折ったものだ、とようやっとわかってきました。つまり、研ぎすました意識を持ち、自分が考えるべき対象を選び、自分の経験から意識的に意味を抽出できるようになること。それができないと人生はツラいものがあります。
神秘的な一体感ってのは違うかもしれませんが、唯一無二のシンジツ[3]とは、「どう物事を見るかは自分で選択できる」ということです。これこそが君たちが受けた教育が生み出す自由の意味です。「適応力がある」という表現の意味です。何に意味があって何に意味がないのか自分で意識的に決められること。何を信じるか自分で決められること。
これより上の知性はないんじゃないかってくらいの天才的なスピーチだと思う。そして、たぶん生産性もそういうところにあるんじゃないのかな。
スピーチの全文が載っているブログ→これは水です