「時間がない」って貧しくないか?

予定は絶え間なく続いていく。毎日、同じことを繰り返したり繰り返さなかったりする。

 

あれもしなけりゃこれもしなけりゃとカレンダーに色がついていく。朝、ご飯を食べる時間がなくなったり、夜、お風呂にのんびり入れなくなったりする。

 

時間は、資産の種類では文化資本に入る。時間がないことは、貧しくないだろうか。豊かさの定義はまだこのブログのなかでできてないけれど、食べているものの味を楽しんだり、リラックスするための時間も作れないのは、豊かではないと思う。

 

思考停止にも対象がある。なにについて考えていることをやめているか?だ。そのなかで、時間について考えることができないのは相当危険な状態にある。だって、なんのために忙殺されているのかがわからなくなっているのだから。

 

効率よく人生を生きるってなんなんだろうなと時々もやもやとする。どう生きるかなんて人の自由だ。それでも、時間対効果を追求しなくてはならないくらい生きることは貧しいものだったんだっけか。