「可能性」ってどれくらい可能なの?

人は言葉、単語に対して感覚がある。「月」と言ったら、満月を浮かべる人も三日月を連想する人もいる。それぞれだ。

 

「可能性」は私にとって力強い言葉だ。学生のころに「可能性の可能性を信じよう」と心に誓った。理由は忘れた。酔っ払っていたのかもしれない。

 

「可能性」が含んでいる可能性のイメージには、希望がある。そんなことが可能だったのか!と驚かせてくれる夢がある。

 

今日からは、それに加えて、「想像力」がいつも私の想像を超えてくることを期待しようと思う。

 

毎日、似たようなことを繰り返していると生きることに飽きていくる。「一度は体験したパターンがまた起こるだけなのではないか」と、うんざりするほどなにもかもに退屈してくる。好奇心が死にかけになる。「これから、一生、私の知らないことはなにも起こらないのではないか」。つらい人には、本当につらい感覚だ。

 

「想像力」は、つねに私の想像力を超えたところにあって欲しい。そしてそうであると私は信じようと思ったのだ。

 

「可能性ってどれくらい可能なの?」、「想像力ってどれくらいまで想像できるの?」。

 

そんな質問には「それは、私の考えのいつも外側にある」 と答えたい。