Programmed

いまはやりたくないことからは引退して過ごしている。

 

カタツムリより遅いくらいの速度で、「1日これだけはやる」と決めたことをコツコツ片付けていっている。

 

ふと、ときどき「これは予め、まるで決められていたことのようだな」と感じることがある。

 

オカルトチックな話をしたいわけではない。運命論、自由意志、受動意識仮説の話をしたいわけでもない。

 

言いたいことは、自分の認識を司っている部分が「自分の嫌ではないこと」と上手く適合すると、自分が認識したいことに気持よく注意を払えるということだ。たぶん、生きることの喜びってそういうところにあるんだと思う。