どう逃げても自分は優しいのだと諦める

恩師が来年、教壇に立つ。嬉しいニュースだ。

 

哲学の師匠でもあるから、ひとつ相談をしてみた。

 

私は、だいたいいつも「優しい人」として見られる。これが曲者なのだ。

 

10代の頃からチバユウスケに憧れていた。もし「1日だれかと入れ替われる」なら、チバユウスケと替わりたい。そう思ってここまで過ごしてきた。

 

ライダースジャケットなんて似合わない。というか、オタクな見た目から離れられない。面倒なので、外見を明るくする気もない。優しそうだと、ほぼほぼ言われる。

 

優しいことは弱いことじゃない。わかってはいるのだけど、なんというか男らしくない。優しい人は、はっきりしない人なイメージをもっている。優柔不断とは別のものではある。でも親和性は高いと思う。

 

相談しているうちに諦めがついた。みんながそう言うのであれば、私はある一面を切り取れば、たしかに「優しい」。それは間違いないんだろう。抵抗して偽悪的になっても無駄な気がする。

 

だから、優しい人として生きることは受け入れよう。ときどき、かっこつけることも続けよう。そんな感じでいいんじゃないか。優しくて、損した記憶もそんなにない。