思考の脱力法 -概念にパラメータはあるのか?-

概念にはいろんなパラメータがあるんじゃないかと思っている。

 

「概念とは、言葉(単語)からくるイメージ」と言い換えてもいい。

 

イメージが身体へ影響を与えることはわかりやすい。

 

たとえば、「梅干し」と連想すれば、つばが出てくる。この場合は、「酸っぱい」という概念からつばが出てきていると考える事もできる。

 

つまり、イメージのパラメータに<つばの量>という項目があって、数値としてつばが、設定された量だけ出てくるのではないか。

 

2017年からは脱力していきたい。今後は、頭のなかにある概念のなかにある<緊張>というパラメータを見ていくことにする。

 

私は、「初めて経験すること」について<緊張>のパラメータの値が高いように思う。呼吸が一時的に止まって、身体がこわばる。

 

還元主義的にとらえれば、概念も細かなパラメータの塊なのではないか。<幸福>は100、<憎悪>が10、<義務>が60などいろいろあるはずだ。

 

リンゴが好きだから、リンゴを思い浮かべただけで、私はちょっと幸せになれる。この果実の<幸福>パラメータの値は、他のマイナスな感情の数字よりは大きい。

 

概念は「体験に対して、解釈としての感情を与え続ける」という繰り返しによって、形成される。強固な概念は、信念に似ている。解釈の仕方は、他人の介入があるか自分での判断かは問わない。*1

 

生の牡蠣を3回食べて、3回とも食あたりになった人は、牡蠣に対してさすがによい感情は持ちづらいと私には思える。*2

  

脱力ができれば、いったんは、ニュートラルな方向に戻っていけるのではないか。緊張するのは嫌だから、もっとリラックスできる考え方をしていきたい。

 

概念にくっついている感情を1回バラバラにして綺麗に組み直すことができれば、可能性は高まると思う。

 

思考の一部分を切り取っていうのであれば、思考することは概念を実行することだ。

*1:だいたいの場合、教育において「よいこと」と「悪いこと」が形成される。ここで言えることは、まず、「よいこと」と「悪いこと」がそもそもなんなのかの概念が与えられるということだ。そして、それぞれに対して、<喜び>だとか<義務>だとか<罰>だとかのパラメータが与えられる。よりそれらを細かくするなら、身体の状態に対してさらに影響を与えるものになる。つまり、ひとつの概念のなかに、パラメータとして他の概念が設定されることはあり得る。感情レベルまで概念が具体的になるのであれば、感情は身体へのフィードバックをしやすくなるだろう。ここで疑問になるのは、人間は自分の身体イメージを越えて、自分の身体を操作できるのだろうかということだ。<緊張>の概念を知らなくても、人間の身体は<緊張>することはできる。本人は気づけないとしても。

*2:それでも食べたい人は、レモンを多めにするか牡蠣フライにでもすればいいんじゃないかな。