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薄っぺらい自分と向きあう

言葉について考える

 最近は、リサーチばっかりやっている。エクセルに英語のデータがたまっていく。

 

ときどき「私はなにをやっているのだろう」とも思う。

 

家族を作る友人や、家を買う人たちがいる。私はただ自分がやりたいことをやっている。言葉を変えれば、やりたくないことはほとんど辞めてしまった。

 

自由と表現すれば、たしかに自由。人と話すことはあるから、孤独ってほどでもない。

 

そんななかで、自分って薄っぺらいなあとつくづく感じる。

 

印象操作をして体裁を取りつくろったり、人に優しくするのも上手になった。

 

やろうやろうと思っていたことができなかったときも「対象について考えた時点で、それを実行したことにしよう。また明日考えたときに試せるかもしれない」とマラソンみたいな大人の考えもできるようになってきた。体力のないときも、無理をしなくなった。

 

でもどうしても「なにもできない自分」とはまた違う「偽りの世界が好きな自分」がいる。非現実的なことに心とらわれる。日によっては、現実に生きていない時間のほうが多い。

 

そんな状態のときは、家や土地のこと、結婚や子どものことなんて、頭のなかにない。

 

社会を動かす中身の部分に、自分が入れてないような気がする。薄っぺらいとはそんな感覚だ。

 

マンガの『プラネテス』で、主人公のハチマキが「嘘つきの自分と向きあっていく」と話すシーンがある。ハチマキが非現実的な目標(木星往還船「フォン・ブラウン号」の選抜試験の通過)に挑戦するとき、たぶんその場面が出てくる。いまなら、その心境はよくわかる。

 

私も、自分のなかでは真実を感じていることでも、世間に対しては嘘をついている気分になることを、これからもたくさん抱えていくだろう。

 

年齢のわりに人生経験がないと言われるかもだが、私は人から見たら価値がないものに入れ込むことはあるだろうし、薄っぺらい自分とは手を取って歩いていきたい。