2016年も終わるし、弱点を書いておこうと思う
「信用できると思った人間に、自分と同等かそれ以上の知性があると思い込むこと」だ。
ここでいう知性は、経験、理性、ユーモアを含む。
ダメだった例を3つほど。すべてコミュニケーションの失敗。
事例1.
◆私視点
「悪いニュースほど早く知らせたほうがいい」と思い、以前から守られてなかった約束を守ってほしいと、朝一で友人に言った。
◆結果
「このクソ忙しいときになんでそんな気分が悪くなること言うんだ? 許さん」と喧嘩になる。
◆相手視点
約束を守ると損害が出る。(ほんとは契約関係の履行なんだけども)
◆改善点
相手に理性があると思わないほうがいい。人間は、想像以上に、脊髄反射で感情的になる。機嫌のよいタイミングを見計らう。
こう書くと暴論に見えるけど、シンプルにいうとそういうこと。
事例2.
◆自分視点
ゲームで、勝ちを確信した場面。最後の最後で、チームメンバーの味方に対して、ふざけて敵対行為にも見えてしまう行動を取る。
◆結果
味方から攻撃を食らって、敗北。
◆相手視点
敵が取りそうな行動をしたら、それは敵だから倒さないといけない。
◆改善点
論理でつめていけば、私が敵になることは99%ない場面。相手が経験者だと思い、勝ちの直前で一緒にふざけてゲームを終えようとしたのが原因。
おとなしくして、場面をあえて荒立てるようなことはしない。
ものすごく細かく言うと、OOPでいうところの、敵オブジェクトが持ちえるメソッドをあえてふざけて実行するという行為が、本当に敵オブジェクトとみなされ攻撃を受けたということ。初心者の前で、味方オブジェクト以外の振る舞いをしないこと。
事例3.
◆私視点
プロジェクトで結果を出そうと焦るあまり、とあるイベントにおいて、町中でやや強引なイベント参加をうながす。
◆結果
無理やり誘われて入った方からクレームをいただく。
◆相手視点
近くにいて見ていただけで、参加するつもりはなかった。
◆改善点
コミュニティデザインにおいて、共同体への参加 or 不参加は、本人が選択可能なものでないといけない。でなければ、「地元の日常」を設計していくことに、ならない。
ハレとケの境目がない環境をつくることが、ひとつの目的だった。「強く誘って参加してもらう」という行為が、シームレスという目的を壊している。
大学の新歓みたいな勧誘ダメ。いくら刺さる層には刺さったとしても、狙った方からの評判がよかったとしても、コンセプトから外れる時点でミス。
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だいたいがタイミングの失敗。
「わかる人にわかればいい(わからないやつは馬鹿だ)」という姿勢は本当にダメ。
「わかる人にわかればいい(わからない人はごめん)」は場合による?
「私のまわりにいる人間は、必ず私より頭がいい」と思い込むのはダメ。
「音楽を生業とする人間が好きな音楽家」を「Musician's Musician」というが、特定の生態系ではそれは許されない。
広く理解される必要がある。人に合わせてコミュニケーションを取り、自分が望む結果を相手から引き出さないといけない。
「〜しないといけない」と書いていくのは嫌いだ。
でも、反省を込めて書いておく。同じことを繰り返しすぎた。
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それでも別のところでは「頭がいい人は、頭のいい人が好き」というのは理解できてしまう。
「(自分が思う)頭のいい人たちだけを集めたコミュニティで生活していきたい」というのも、発想として、世間にぶらんと浮かんでいるのをよく見る。
「頭のいい人たち」という属性を変えたら、そんな願いはむしろ人間の根源なんじゃないかとすら思えてくる。
政治の場面で、政党とは「同じ思想の人たちを集めたコミュニティ」。仲のよい友人とだけ付き合うのも、極端にいえば「(自分と)気が合う人だけを集めたコミュニティ」にあたる。
言いたいこととしては、豊かさを考えるときに、いろんな存在のあり方があらかじめ想定されているコミュニティを大切にしていきたい。
そんな感じで今日の執筆を終えたいと思う。