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創造的絶望を創造的に創造する

またうまく書けていない。じょうずに書こうとするから書けない。だらだらと書いていいのをよく忘れる。誰からも特に期待されているわけではない。批評の目がいちばん厳しいのは自分だったりする。

 

絶望すればふんばって先に行きやすい。いまは近いところに絶望が見当たりしない。絶望が見つからないことを絶望とすればいいのではないかと思い浮かんだ。よくわからないけれどそういうアイデアがひらめいた。

 

心理的抵抗はつねにあり続ける。ないとよくわからない。時間をゆっくり流す感覚でまた白い画面と向き合えばそのうち書けもする。そういうときはなんだか浜辺でいったりきたりする波を眺めている心境になる。波はそれぞれ個別なのか。すべて一緒の動きをするわけがない。ひとつひとつにIDを振れたらいいのになとぼーっとしながら思う。海という生態系で波は個体ごとに重複がないものなのか?

一段落とは主観的なものである

ひとまず山は超えた。たぶん。

 

「一段落ついた」と気持ちがなるのは、まったくの主観での一区切りだとわかった。

 

終わりというのはいつでも人工的なものだ。生理学的な死くらいなんじゃないか。自然に感じれるのは。

 

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自転車でコンビニを往復するときに、自分の臆病さ、弱さが身にしみてきて涙が出てきた。怖いことばっかりである。

 

ふがいなさを感じることは、「無知の知」に結構ちかい。ちょうど武術を学ぶときにどれだけ自分が至っていないかを学ぶことが学習進歩のキーであるように。

 

ゲームが上達しやすい人の特徴についてもそれは言えて、大切なことになるのは「自分の実力が正確に把握できていること」だ。強力な勝利の原動力になりえる。自分の身の丈がわかっていれば作戦も立てやすく、勝ちやすくなるかはわからないけれど負けづらくはなる。勝負として相手からしたらとても手強くなる。

 

自分がどれくらい弱くてどれくらい強いかを感覚としてもてるような人は、だいたい他分野(違うゲーム)で突き詰めた経験を持つ人だ。上級者同士の戦いになると、力量がたいして変わらなくなるから往々にして高度な心理戦となる。その際に重要になるのが「自分がどのような戦力か」を精密に知れているかどうかなのだ。

 

最強である必要は必ずしもない。自分の価値のなさ、強みが発揮できる場面などを理解していれてれば十分。狙いが戦いのなかで持てることは勝敗にあたりまえのことだけれど直結する。

 

そんなことを考えていた。まあ、そういう意味では私はすごく、弱い。

 

風も強い日だったから、散り始めた桜が道の上で渦を作っていて、そのなかを時速16kmで走り抜けていく。今年の花見はこれでいいやという気分になった。

書けないときの状態で考えていること

ある文章を書けなくなってはや3日。8時間×3日と考えると24時間は「書けていない状態」が続いている。

 

あらためて考え直してみると、まずいことはひとつも起きていない。

 

この「起きていないこと」はとても大切なことだ。具体的に言えば、「私の外的な環境で何かしらが起きているわけではない」ということなのだ。私の認知する範囲で、私が書けないことが原因でどこかの火山が噴火したとかはさすがにない。

 

「書けない状態」は、あくまで私の内的な現象にすぎない。

 

ソフトウェア面(精神的な部分)とハードウェア面(物理的な部分)で考えるとする。たとえば、「締め切り」は完全にソフトウェア的な縛りである。書くときの精神的なつらさや不安は、私のなかでのみ起こりうる。この世でハードウェア的な締め切りがあるとすれば、身近なものだと寿命くらいなものだと思う。

 

端から見れば、「書けてない私」が本当に書けてないかどうかなんて理解不能だ。外的に判断可能な現象ではないのだから。もちろん、アウトプット量でいればゼロなのだから、わかりやすくはある。それでも、必ずやらなければならない精神的な締め切りなどやっぱり存在しない。肝心のハードウェア的な締め切りである寿命は残念ながら自ら知ることのできないものである。

 

こうして、書けない状態の私は、私の外面がここ3日間なにも変化してないことを知ることになった。

書くことは豊かなのだが説明するのが難しい

書く時間は間違いなく豊かだ。ただ、説明するのが難しい。

 

真っ白な猫がベッドのうえで、うとうとして眠りに落ちそうになっている。日向ぼっこの途中で、気持ちよくなってきたからだろう。頭を撫でると目を細めて喉を鳴らす。なんだか気が抜けてこちらまで和む。

 

いま目の前で起きていることを書いているだけで、よい現実逃避ができている気になる。

 

重視したいのは、可能性を感じることで、これを諦めてしまったらひとつの人間の死だと思う。無知の知は、知らないことがたくさん広がっていることを世界観に感じさせてくれる。

 

可能性を信じることは、豊かさを感じることとかなり近い。「存在のあり方の種類において問題とならない範囲が広いこと」と、「未来にありうる事象の種類が豊富であると予感できること」が似ているからだと思う。

 

それらにおいて、書くことは相関性が高いはずだ。でも、それがうまく説明できない。たぶん、書いている途中は、書いていることによって、何が起こるかわからないという戦いに打ち勝ちたいだけなのかもしれない。

 

読者の存在も、可能性を感じることに寄与しているはずなのだけれど、違う方面から考えたい。問いを立てるとするならば、なぜ書いている途中に豊かさを感じるのだろうということ。それがわからない。下手をすると、「届く可能性」について感じているのかもしれない。その場合、読者のことに関する問題になる。

 

書いてよい範囲が広大であるから豊かさを感じるのであれば、表現における自由さから感覚を得ていることになる。

純粋に近く感じる欲求と不安を紛らわすだけの欲求

タイトルとして、「絶望不十分」の最後でも書いたけれど、本物っぽい現実逃避と嘘っぽい現実逃避があるのではないかと考えている。

 


それらは「欲求」を装っているから、どちらも、あたかも自分がしたいかのように感じるのだけど、それはやっぱり感覚であることが限界で、放っておいても問題にはならないことがほとんどだ。

 

眠かったとして、それは純粋に生理的欲求で眠いのか、テスト前で不安を紛らわせるため(言い訳を作るためでも、不貞寝でも)眠いのかは、判定をしていきたい。見た目がそっくりなのだ。知覚上、眠いという感覚は同じものといってもよいのだから。

 

判定をするためには、判定基準が必要だ。なんにすればよいのだろうか。「これからなにかしらを成し遂げようとしている」なんてときに眠かったら嘘だから、笑顔でそれを扱うかとかにしようか。

 

もともと、不安からくる逃避行動って、不安の根源への直撃を避けている行為だから(テストで自分の無力を味わいたくない...etc)、実は逃避行動そのものを違うことに置き換えれちゃったりするのではないかと考えている。

 

不安が怖いからとりあえず寝てしまおうという眠気の欲求があるなら、それは他の行為で解消できると個人的には思っている。最近は、緊張していて眠いときは、筋トレをするようにしている。気分的にはすっきりする。不安を材料に体を鍛えれるというサイクルはわりと好きだ。

 

それか、いま書いているみたいに執筆をするか。いつまでたっても不安の大元に直撃しないのだから、早くテスト勉強に戻ろうとは思っている。思ってはいるのだ。

IELTSのWritingのエッセイでよく使う表現まとめ

[経済系]

aid

investment

grant

venture

finance

material

equipment

facility

infrastracture

basis

ground

support / help / provide / assist

local

industry

develop

convenient / convenience

inconvenient / inconvenience 

progress 

unemployment / lack of education / hunger / crime / poverty / corruption / diseases

commerce

developing / industrializing

developed / industrialized

urbanization / depoplation 

population

agricultural product

leader

doctor / nurse

chain reaction

The advances in science and technology

integrated economically, socially, politically and culturally through the advances of technology, transportation and communication.

gorvenment / administrations / rule institution

abstract(theoretical) - real(concrete) / exact - inexact / realistic - unrealistic(unsound)

 

[効率系]

effective

productive

productivity

efficiency

optimization

performance 

convenient

 

[教育系]

measurement

methodology

learning process

enrich

educational level

high educated

diversity

cultural

criticize / blame

praise / acclaim

self-esteem

wealth

interaction

role

nations

international trade

worldwide economic

good / virtuous circle

good / vicious circle 

 

 

[文頭でのつなぎ系]

Such impact / effect is

In this way

Under this circumstance / situation

In such Nown

 

[段落頭でのつなぎ系]

In addition

Moreover

Furthermore

Similarly

 

[段落頭での逆説系]

Despite the argument above, I believe that

However

Although that fact / evidence

 

[文頭での〜の観点で、〜については]

In terms of 

In respect of

As for

Regarding

Concerning

 

[〜を上回る]

A Overwight B

A Exceed B

 

[重要系]

Important / Importance

Nessesary / Nessesity

Significant / Significance

 

[本質系]

Essential / Essence

Main factor

Key

True nature

Substantial / Substance

crucial aspect 

 

[足りない系]

Lack

Shortage

 

[手段系]

Way

Mean

Alternatives

method

methodology

practice

plan 

tool

cycle 

balanced approach

step

system / architecture / construction / proportion / composition

 

[賛成系]

agree

admit 

concede

accept

 

[問題系]

problem

issue

matter

 

[原因・理由系]

reason

cause

root cause

origin

something cause / lead to / result in

 

[結果系]

impact

effect 

result

influence 

something is caused by

somethings result from

 

[例えば系]

for example

for instance

specifically

something is the best example of

 

[Some people は主張してる系]

say

contend

claim

argue / argument

assert

allege

heated debate

Most people seem to forget all

 

[促進させる・成長させる系]

boost

encourage

strengthen

increase

grow / growth

advancement

 

[確かに〜 でも系]

Certainly

Admittedly

Actually

 

[最後に〜系]

In conclusion

to conclude

to sum up

 

[能力・技能系]

Skill

literacy

ablility

proficiency

experience

 

[個人的にはこう思うよ系]

I think personally that

in my opinion

from my perspective

I believe

 

[重視するよ・してよ系]

play an important role

should be more aware of 

give priority to

regard / see someting as important

emphasize on

value

think much of

take something [more] seriously [than]

focus on

attach inportance to

take account of

give full weight to

will continue

 

[〜な傾向あるよ系]

tend to

be likely to

be prone to

be apt to

tendency / trend

custom

 

[よく見られよね系]

Nowadays, something becomes big issue / main factor 

Some people argue that A, while B

There is no doubt that

It is clear that / clearly

It is common that / commonly

It is often seen 

It is ture that 

people cannot deny

no one can deny

we cannot deny

none of us can deny 

It is acknowledge that  

Everything has two sides and the globalization is not the exception

 

[最近は系]

Nowadays

In the present age

recently

 

[有益系]

worth / worthwhile

value / valuable

profit / profitable

merit / meritable

usuful

helpful

benefical

positive

good cycle

 

[無益・有害系]

detrimental

harmful

useless

negative

adverse

vicious cycle

 

[ちゃんと系]

reasonable

fitting / suited

advisable

suitable

relevant

proper / properly

correct / correctly

絶望不十分

うっかりミスで、巨額の損失を出す。気づいたのが遅かった。

 

振れ幅でいえば、一番底をつくくらい落ち込んだ。

 

精神的にヤバくなるのは、「私にとっての世界=私にとってのすべて=失った対象」となるときだ。車を死ぬほど愛している人が、大切にしているプリウスを失ったら、「私にとっての世界=私にとってのプリウス=失ったプリウス」と前述の式を使うとなる。最愛の人だってそうだろう。愛する人を亡くしたら、本当にそれまでの世界観が崩壊する。告白して振られても、そうなる。

 

車や告白失敗は、他者から見れば「それがすべてじゃないよ、生きることはいろんなことを多分に含んでるよ」と言えるものであるんだと思う。ワーカホリックに仕事だけがすべてじゃないよ、と言うのも似たようなものだ。

 

人間の生きる感覚をひとつの器とする。その器が常にひとつのもので埋め尽くされていると、余裕がなくなる。入ってるものが自分の認知している世界のすべてだと思い込んでしまいやすくなるよということ。失ったら再構築していくのだけど、再構築とかそういう問題じゃねえよって思い込んでしまいがちなのだ。私の今回失った額も。もともと私は豊かだからたぶん問題にはならないはず。感覚としては。

 

話は変わって、逃避行動の話。人間はつらい現実は見たくない。幻想の空間が好きな人はたくさんいる。ただ、怖いと思っていることには挑戦したほうが精神衛生上よいのではないかという説がある。創造的絶望と、それは呼ばれているらしい。怖いと思っているものに直撃したくないから、オンラインゲームをしたり、部屋の掃除をしたり、出てきた卒業アルバムを読んだりしてしまう。テスト前なんかまさにそうだろう。人は怖いものは自然と避ける。前に進むにはそのうえで、本当の絶望に向き合わないといけないということだ。

 

今回の損失は、絶望にしては十分だった。思い悩んだ。後悔も他人を疑ったりもした。もう生きていけないのではないかと5秒くらい考えた。それでも、計画は進む。時間は流れていく。一度絶望すると、また違う課題が見えてくる。不安を感じる本質的な原因は「知らないこと」だ。詳しくないから怖いのだ。

 

私は現実逃避を愛している。それでも、向き合うときに絶望不十分なときは踏み込む勇気を持ち合わせていたいと思う。こう書いていると、嘘っぽい現実逃避と本当っぽい現実逃避があるのではないかと疑問も出てきた。

距離感とは何なのか

 以前にも書いた。距離感が苦手だ。

 

どう振る舞ったらその空間で正解なのかがわからない。コミュニケーションが定義上「望んでいる結果を相手から引き出す」だとすると、そもそも私が普段生きていて、他人に何かしら特定の結果を望んでいない。基本的に、意味付けのない空間だと、他人に興味がない。普段は、ぼーっと考え事をしたり、目的のために動いたりしている。そこに他人と接する必要はほとんどない。

 

距離感が苦手というよりも、どちらかといえば、目的のないコミュニケーションが嫌いなのだと思う。世間話が得意ではない。他愛のない話は人間関係の潤滑油だと世間はいうけれど、本当にそうか? 一緒に修羅場を乗り切ったほうが連帯感つよくなるのではないか。そんな屁理屈を言いたくなるくらい、意図がはっきりしない空気から距離を置きたくなる。

 

無目的なら無目的で、そのときは1人でいたい。2人以上でいるなら、相手も私と同じような「特に用事もなくだらだら暇つぶしをするときは孤独でありたい人」がいい。わがままだけれど、その場合なら、目的のないコミュニケーションは発生しない。のんべんだらりとしている人間が、同じ空間に同人種で2人いるだけだからだ。表現が難しいのだが、それは「お互いをギリギリで無視し合ってないくらい」の特殊な関係だ。「お互いがお互いで、自分のやりたいことに没頭している状態なんだけど、同一の場にはいちおう在籍している」という感じだろうか。

 

高校生のとき、友達の家に集まってるのに全員が別々のことをしていたのを思い出す。1人は漫画を読んで、1人はゲームをして、1人はベッドで寝ていた。そろそろ帰るかなという時間になったら各々自由解散だった。それくらいが理想だ。

 

距離感を気にするのは、相手に失礼なことをしたくない以上に、私が傷つきたくないからだと思う。不快な気分にさせることを過剰に恐れるのは、コミュ障の鉄板コースだ。奥底にあるのは、攻撃を受けて出血をしたくない自己にあるのではないか。

 

おそらく、私が感じ取れないだけで、文脈が薄く見える空間でも最適解なマナーというか、正しい振る舞いがいつもあるのだろう。「どう振る舞ったら正解かがわからないこと」が距離感のわからなさの苦しみを支えている。

 

目的がなければ、私は他人に興味のない状態で接する。相手に興味があるように振る舞えない。そのくせ、相手から迫害や嘲笑を怖がっている。

 

相手のなかの攻撃性を恐れず、相手に興味ない状態を持続させて接することができない。勇気がないからだ。意図のわからない相手に、興味がある振りもできない。接する人を不快にさせずに、自分の言いたいことを主張できる間合いがわからない。関係性に対する知識がないから、関係性に合わせた振る舞いがで不可能に思える。

 

いちばん楽で安全なのは他人と接点を作らないことだから、今日もこうして友達を失っていく。

 

礼儀正しいのは護身術の基礎だと思っているからそれは本当に大切なことだといいたい。礼儀は弱者の味方だ。本質は相手に敵意がないことを示すことなんだと思う。相手に恐怖を抱くことも敵意の一種なら、それは悟られないほうがいいのだろうな。まだよくそこらへんがわかっていない。

 

長々と書いているけれど、距離感というのは感覚の一種なのだから、そこまで問題の中心にないように思える。好意であれ、敵対心であれ、恐怖心であれ、無関心であれ。それらは、勝手に感性で決まる。自動的に定まるものは仕方ない。

 

どちらかといえば、「仲良くしたいんだけど、嫌われたときが怖いから、攻撃されても平気な距離をあらかじめ取っておこう」だとか「興味のない人だけど、むやみに敵を増やしたくないから、ちょっと愛想笑いをしておこう」だとか、そういったことを過剰にやりすぎなのかもしれない。問題はこっちサイドにある気がする。

 

気が合うなと思える人と距離を縮めたいときには、ある程度以上のリスクが出て来る。振る舞いは、わかりやすいほうがいい。相手視点で気が合わないなら良い友達にはなれない。

 

興味を持てない人から嫌われる覚悟はしなくていはいけない。数を0にすることは何事も不可能だから、そこは割り切ろう。明るい人ってわけでもないから私は。

 

距離感の本質ってそういうところに潜んでいるような気がする。

 

取りたい距離感に対してリスクを引き受けながら素直に振る舞うこと。無関心が原因で取りたい距離が存在しないなら相手から嫌われるのを恐れないこと。 自己防衛のための距離もあるということ。

 

【随時追加】この世で生きていく上で使えたらおもしろい数字リスト

1.地球の面積 -> 510,100,000 km²   5億平方メートル

2.地球の赤道半径 -> 6,371 km

3.地球の赤道一周距離 -> 40,075km

3.地球の海でいちばん深いところ -> 11,000m  11kmか

4.地球と太陽の距離 -> 1億4960万km  1億5000万kmくらいか

4.東京都の最低賃金 -> 932円 (平成28年10月1日に効力発生日のもの)

5.東京都で雨が降った日数 -> 115日 (2011年 気象庁年報)  東京の3日に1回はだいたい雨

 

1.&2.地球 - Wikipedia

3.月まで歩いて10年ちょっと 第2章 [距離] 2.地球と月

3.HADEEPとは - 「新世紀を拓く深海科学リーダーシッププログラム」HADEEP

4.地球から太陽までは、何光年ですか?│太陽│宇宙科学研究所キッズサイト「ウチューンズ」

4.http://tokyo-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/var/rev0/0144/2426/2017112154858.pdf

5.都道府県別 降水日数(年間)ランキング: 教えて!全国ランキング 2017 〜都道府県ランキング 日本の統計〜

金平糖の精の踊りから花のワルツまで

肉豆腐とサラダ(サンマの水煮と水菜和え)を食べて、食後の眠気対策に濃く入れたインスタントコーヒーを少量飲んで、ソファに寝っ転がっている。足の向こうには青空が見える。若い気分になった。

 

部屋にはエレーヌ・グリモーのラフマニノフが流れている。調べてみたら、彼女は動物生態学をやっていて、いまでは狼の保護地区を作ったらしい。一気に好きになってしまった。詳細は『野生のしらべ』に書いてあるよう。

 

ラトサミーの件もあって、フランスに親近感がわいてきた。もともとはオシャレなイメージを勝手にもっていて嫌いだったけどな!。

 

昨日今日でクラシックについていろいろ学んだのでメモ。

 

バーンスタイン、カラヤン、ストラヴィンスキー、イオン・マリン、アルブレヒト・マイヤー、マリス・ヤンソンス、グスターボ・ドゥダメル、エレーヌ・グリモー、エサ・ペッカ・サロネン、ヴァルトビューネ、ウィーンフィル、ベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ、バイエルンフィル、クラウディオ・アバド、サイモン・ラトル、サンジュエルマン・デ・プレ、ヒラリー・ハーン、ギドン・クレーメル、アダム・クーパー、イザベル・ファウスト、エマニュエル・パユ、マチダコトハ、カシモトダイシン、プロコフィエフ、シュテファン・ドール、アンナ・フェドロヴァ。

 

一部合ってないところあるかも。とにかくピアノはエレーヌ・グリモーが気に入った。バッハもラヴェルも好きだったんだけど、チャイコフスキーもよいなと思う。

 

初心者なりに楽しんでいきたい。

わりと金持ちの最期は

うだつの上がらない日々を送っている。昨日は友人の家にだらだらと泊まった。

 

友人は高級住宅街に住んでいる。駅までの帰りに、車道と同じくらいの幅の並木道を歩いた。メルセデス・ベンツが走る道路から目を移せば、右手側にはテニスコートがあった。早朝から裕福そうな年配の方たちが、ダブルスで汗を流している。せっかくだからと道なりにあったパン屋にも寄った。駐車場は満杯で、小さな店内は客でごった返していた。塩パンの値段は、私の住んでいる地域の2倍もした。

 

別に、私は幸せではある。いちおう、もっと高みにいきてえなという気持ちは混ざった状態で生活はしているけれど、強烈になにかを欲する感じでもない。拒絶したいことは山ほどある。いまこうして歩いているあいだに死んじゃってもいいやみたいないい加減な感覚もある。ただ、絶望して生きているわけではない。

 

私の祖父は金持ちで、今日見かけた人たちと似たような生活をしていたのだろうなと思う。質のよい運動、食事、服装。実家の蔵の2階にあった下駄や着物などは、いったいいくらぐらいするのだろうか。

 

祖父は死ぬ直前に、身の回りのものをほとんど処分した。売却というよりは捨てるといった体で、すっぱりと失くした。相続については興味もなかったようだ。葬儀の最中、私はお坊さんのありがたいお経を聞きながら、父は果たして相続税を払いきれるのだろうかとぼんやり考えたものだった。

 

これから火葬場へ向かうというとき、地元で校長先生をやっていた叔母が、棺桶にモーニングを入れた。天国に行っても、祖父は身なりを気にするだろうからとのことだった。「グッドモーニングだぜ」と祖父の身体に礼服を合わせながら言った叔母は、私のなかで身内ロックンロール大賞1位に輝いている。

 

私は父よりも祖父よりも、圧倒的に貧しい人生を過ごすだろう。ご先祖様は、相続のことも考えるなら、自己資本化を進んでするような組織体制をつくっておくべきだったと思う。貴族が宝石の真偽を専門家なしで見分けれたように、教養は力なのだ。知識はいくら鍛えあげても、税金がかからないというのに。

 

そんなよしなし事を、うんたらかんたら浮かべながら、今日も歩く。

 

不揃いに立ち並ぶビルの向こうに、飛行機雲が見えた。数分前に出来上がった縦筋の雲を沿うように飛んでいる。私はSUICAを13.5の角度でタッチパネルに叩きつけて改札のなかに入っていく。

 

 

2017年の目標

2017年になって、25日が経過した。

 

今年は元旦に暴漢に襲われることもなく、平穏にすごせている。去年は、駅から帰っている途中、午前2時から午前2時10分まで見知らぬ不審者と戦った。ThinkPadを片手に持っていた状態での開戦だった。非常に不利ではあったが、手練手管つかってなんとか無事に、帰宅したのだ。

 

さて、今年の目標を書いていきたいところだが、まずは現状を。いまは膝の上に白猫(耳としっぽは黄色がかったベージュ)が寝ている。部屋にはイギー・ポップのPassengerが流れている。

 

半分くらい嘘だ。

 

ひとつめの目標は、海外に住むことだ。2017年は、これだけできればいいや。来月には、IELTSを受験する。豊かな国に暮らしたい。海の近くがいい。ハイコンテクストにはうんざりしてきた。

 

ふたつめは、機嫌良くありたい。もっと気楽に生きたいなあと思う。広く自治の感覚を持ちたい。経営判断を、ゴキゲンなときに行いたい。

 

それ以外は特に思いつかない(もともと書きながら考えている)。

 

4.1kgに成長した猫が、暇になって手首を噛んできた。今日はここらで書くのをやめる。

 

文章仮免中

寒い。室温見たら11度だ。個人的には18度切ると動きに影響が出てくる。

 

今日の話は、入門者である自分についてだ。

 

長くやってればその道に詳しくなり、人にも教えられるようになる。仕事だって、オンラインゲームだって、恋愛だってそうだろう。

 

一つのことに詳しくなると、イメージの転用を他のジャンルにできる場合もある。そのせいもあって「自分が入門者である」という立場を忘れることがある。

 

人間、やったことがないことについては、だいたい初心者だ。

 

絵を描くことは、画家だった叔父の影響からか、いまでも続けている。腕は未熟なままだ。描くのは下手くそでも楽しい。

 

一方で、文章を書くときは、本の虫だったこともあってか、自分に求めるレベルが無意識に高いように思う。文豪をいきなり目指すのもどうかしている。そんな簡単に向田邦子になれてたまるか。

 

「自分が入門者だったらどうする?」と、考えながら書きたい。

 

もっと、書くことから離れて、もっと、びっくりするぐらい静かに身体を動かすことができるはずなのだ。

 

 

2016年も終わるし、弱点を書いておこうと思う

「信用できると思った人間に、自分と同等かそれ以上の知性があると思い込むこと」だ。

 

ここでいう知性は、経験、理性、ユーモアを含む。

 

ダメだった例を3つほど。すべてコミュニケーションの失敗。

 

事例1.

◆私視点

「悪いニュースほど早く知らせたほうがいい」と思い、以前から守られてなかった約束を守ってほしいと、朝一で友人に言った。

 

結果

「このクソ忙しいときになんでそんな気分が悪くなること言うんだ? 許さん」と喧嘩になる。

 

相手視点

約束を守ると損害が出る。(ほんとは契約関係の履行なんだけども)

 

◆改善点

相手に理性があると思わないほうがいい。人間は、想像以上に、脊髄反射で感情的になる。機嫌のよいタイミングを見計らう。

 

こう書くと暴論に見えるけど、シンプルにいうとそういうこと。

 

 

事例2.

◆自分視点

ゲームで、勝ちを確信した場面。最後の最後で、チームメンバーの味方に対して、ふざけて敵対行為にも見えてしまう行動を取る。

 

◆結果

味方から攻撃を食らって、敗北。

 

◆相手視点

敵が取りそうな行動をしたら、それは敵だから倒さないといけない。

 

◆改善点

論理でつめていけば、私が敵になることは99%ない場面。相手が経験者だと思い、勝ちの直前で一緒にふざけてゲームを終えようとしたのが原因。

 

おとなしくして、場面をあえて荒立てるようなことはしない。

 

ものすごく細かく言うと、OOPでいうところの、敵オブジェクトが持ちえるメソッドをあえてふざけて実行するという行為が、本当に敵オブジェクトとみなされ攻撃を受けたということ。初心者の前で、味方オブジェクト以外の振る舞いをしないこと。

 

 

事例3.

◆私視点

プロジェクトで結果を出そうと焦るあまり、とあるイベントにおいて、町中でやや強引なイベント参加をうながす。

 

◆結果

無理やり誘われて入った方からクレームをいただく。

 

◆相手視点

近くにいて見ていただけで、参加するつもりはなかった。

 

◆改善点

コミュニティデザインにおいて、共同体への参加 or 不参加は、本人が選択可能なものでないといけない。でなければ、「地元の日常」を設計していくことに、ならない。

 

ハレとケの境目がない環境をつくることが、ひとつの目的だった。「強く誘って参加してもらう」という行為が、シームレスという目的を壊している。

 

大学の新歓みたいな勧誘ダメ。いくら刺さる層には刺さったとしても、狙った方からの評判がよかったとしても、コンセプトから外れる時点でミス。

 

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だいたいがタイミングの失敗。

 

「わかる人にわかればいい(わからないやつは馬鹿だ)」という姿勢は本当にダメ。

 

「わかる人にわかればいい(わからない人はごめん)」は場合による?

 

「私のまわりにいる人間は、必ず私より頭がいい」と思い込むのはダメ。

 

「音楽を生業とする人間が好きな音楽家」を「Musician's Musician」というが、特定の生態系ではそれは許されない。

 

広く理解される必要がある。人に合わせてコミュニケーションを取り、自分が望む結果を相手から引き出さないといけない。

 

「〜しないといけない」と書いていくのは嫌いだ。

 

でも、反省を込めて書いておく。同じことを繰り返しすぎた。

 

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それでも別のところでは「頭がいい人は、頭のいい人が好き」というのは理解できてしまう。

 

「(自分が思う)頭のいい人たちだけを集めたコミュニティで生活していきたい」というのも、発想として、世間にぶらんと浮かんでいるのをよく見る。

 

「頭のいい人たち」という属性を変えたら、そんな願いはむしろ人間の根源なんじゃないかとすら思えてくる。

 

政治の場面で、政党とは「同じ思想の人たちを集めたコミュニティ」。仲のよい友人とだけ付き合うのも、極端にいえば「(自分と)気が合う人だけを集めたコミュニティ」にあたる。

 

言いたいこととしては、豊かさを考えるときに、いろんな存在のあり方があらかじめ想定されているコミュニティを大切にしていきたい。

 

lastwords.hatenablog.com

 

そんな感じで今日の執筆を終えたいと思う。

 

 

 

亀のごとき歩みだが、亀のごとく進むぞ

いちおう、狙ってることは上手くいき始めている。

 

人事尽くして天命を待ってみるものだ。

 

「1日1個、これだけはやる」というルールを適当に運用している。決めたことさえできたら、他がパーでも気にしない。それでよしとする。

 

ばりばり動いている人が私を見たら、亀を眺めてるウサギの気分なんだろうと想像できる。

 

でも、亀は後ろに進まないのだ。止まるか、前に進むしか、身体の構造上できない。

 

一日一歩ずつ、気の遠くなるような進み具合になるかもなあと、事前には思っていた。感覚よりは、ずっと早く予定が進んでいる。

 

人とは違った戦いかたをしたほうがいいなと思ったから、「1日1つだけ、なにをするか?」で勝負する。決めたことを、延々と延々とくり返す。

 

そんな生活のほうが向いているみたいだ。体力それほどいらんし。

 

lastwords.hatenablog.com