2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧

私の予測可能性

ここ数年は混乱して生きてきた。 今日かな、昨日あたりか。生きるということに予測可能性がある程度見えてきたような気がする。 人間に関して「事前条件がこれこれこういう風に揃っていれば、結果がこうなる」というものだ。 おそらく人は、この感覚にひとつ…

他者と生きようかなと

いままで引きこもって製作してるのが理想の人生だと思っていたけれど、それはやめにしようかと思う。他者と関わって生きていこうと思う。 研究だとかものづくりは、人と会って話をしてもまったく進まない(人事的な調整をするのは別として)。すごいと言われ…

身体と表現が好き

バイトを始めた。マルチタスクが苦手なのでうまくいくか心配だ。 気づいたことがあって、どうも身体を動かすのと表現することは好きみたいだ。料理が好きなのは、運動と芸術が同時にできるからなのかな? なにはともあれ、林檎1kg、バナナ1kg、パスタ2kg、米…

基準の正気

人間に関する基準の正気を保証するもの(証明すること)はとても難しいのではないか

英語ができないことについてざっと書く

レポートが書けない。 思うことをざっと書いてみる。 長文が書けない(Writing) 書き方がわからない 雛形がない 詳しくなるのが早そう 本を読みたい それでも書くのがいやだ・・・ 本を借りたい 日常的に読む文字を英語にしていきたい そもそもアウトプット…

「頭がわるい」の個人的な定義

「ユーモアの介在する余地がいっさいない」ということを、いちばん頭がわるいということにしたい。 私のまわりは頭がよい人でいっぱいです。

惰性と慣性

行為を続けていれば頭は慣性みたいにその計算をずっと続けるようになる。 将棋を数局やって、何度か負けると、熱くなって(Tiltして)、どうやったら勝てたかなと考え出していまい、その日は将棋の演算で頭がいっぱいになる。他の行動のクオリティはすべて落…

連続性と返報性、恐怖が連続することによる恐怖について

精神についての本質のひとつとして、連続性と返報性がある。どちらもとても大事。(いま、この記事を書いている間に、職人さんが私の部屋のドアの修理を行っていて、それが丁寧な仕事でとてもおもしろい) 連続性とは、同じことが続くだろうと勝手に予想し始…

生態とメタ、ルールと手段

手段はルールのなかで決まる。ルールというのは情報空間をデザインしている。情報空間には必ずなにかしらの制限があり、制限がルールといってもよい。 それとは別で、いま興味があるのが生態とメタだ。ゲームでいうと「メタとカウンター」になる。メタがその…

生活のなかのちょうどよさ

生きることに求めていることって中学生のときと変わったのだろうか。 いまは英語でほとんど暮らしている。ふと、バス停で歌っていた鼻歌が合唱祭のときの曲だったりする。(あと、なぜか槇原敬之) まわりとうまく付き合っていったりかき乱されたりしながら…