老害と空間デザイン

今日は老害になってしまった。

 

昔やりこんでたゲームのコミュニティに顔を出して、方法論として合理性のある意見を言ったつもりだった。結果としては総スカンで、場は議論のためのものとして盛り上がったけれど、「そこまで真剣に考えなくてもよいのではないか」と言われた。

 

何を言っても空を切る感じでむなしかった。

 

私はそのコミュニティからしたら「誰だよお前」って感じの人間だ。毎日通う場所ではない。場に考える習慣を残したかったのだと思う。それに失敗した。

 

コミュニケーションは結果だ。引き出したい結果を起こせてないから、私の働きかけ方はまったく上手くいかなかった。

 

つらい問題でもあるのだ。コミュニティには長く続いて欲しい。ゲームの腕をより高く磨いてほしい。でも、働きかけれるのはずっとじゃない。一瞬に近い。

 

何も言わなければ見捨てたように自分には思えてしまう。任せるということも必要だ。考える習慣を残すために、空間にいた人たちにどうコミュニケーションを取れたか。どのようにデザインすればよかったか。どうすれば結果を引き出せたか。大事なのは結果のための場作りだ。反省。

 

まあ、楽しければいいじゃんでもいいとは思う。思うんだけども。

 

老害になっていく思考プロセスってこんな感じなのだろうか。