書けないときの状態で考えていること

ある文章を書けなくなってはや3日。8時間×3日と考えると24時間は「書けていない状態」が続いている。

 

あらためて考え直してみると、まずいことはひとつも起きていない。

 

この「起きていないこと」はとても大切なことだ。具体的に言えば、「私の外的な環境で何かしらが起きているわけではない」ということなのだ。私の認知する範囲で、私が書けないことが原因でどこかの火山が噴火したとかはさすがにない。

 

「書けない状態」は、あくまで私の内的な現象にすぎない。

 

ソフトウェア面(精神的な部分)とハードウェア面(物理的な部分)で考えるとする。たとえば、「締め切り」は完全にソフトウェア的な縛りである。書くときの精神的なつらさや不安は、私のなかでのみ起こりうる。この世でハードウェア的な締め切りがあるとすれば、身近なものだと寿命くらいなものだと思う。

 

端から見れば、「書けてない私」が本当に書けてないかどうかなんて理解不能だ。外的に判断可能な現象ではないのだから。もちろん、アウトプット量でいればゼロなのだから、わかりやすくはある。それでも、必ずやらなければならない精神的な締め切りなどやっぱり存在しない。肝心のハードウェア的な締め切りである寿命は残念ながら自ら知ることのできないものである。

 

こうして、書けない状態の私は、私の外面がここ3日間なにも変化してないことを知ることになった。