「もう生きてはいけない」と「いますぐ死ぬことはない」は何が違うのか

頻度高く絶望をするので、もう生きてはいけないのではないかと思うことがある。ただの感覚だけの問題ではある。小さいころからショックを受けるとそんな気分に良くなっていた。

 

一方で、ここでなら生きていけるな、いますぐ死ぬことは絶対にないな、と思うこともある。

 

両者の違いについて考えていきたい。

 

原因について話そう。

 

もう生きてはいけないのではないかという感覚は、本質的には「他人とうまくやっていく自信のなさ」からきている。

 

いますぐ死ぬことはないという確信は、「他人と交渉をすることができる余地があること」からきている。

 

第一に、感覚として、他人を拒絶し始めるのは私からだ。取りつく島もないと諦めるのはいつも自分からなんだろう。

 

ドイツのことわざに「にもかかわらず笑うのがユーモアである」とある。『モモ』を書き残したミヒャエル・エンデは「にもかかわらずというところに希望がある」と『オリーブの森で語り合う』で発言をしている。

 

他人に関して期待しないことは大切だ。コミュニケーションが苦手な人には特に。

 

しかし、会話をするだとか、他人になんらかの形で「アクセスすること」を忘れないようにありたいと思う。