「時間がない」って貧しくないか?
予定は絶え間なく続いていく。毎日、同じことを繰り返したり繰り返さなかったりする。
あれもしなけりゃこれもしなけりゃとカレンダーに色がついていく。朝、ご飯を食べる時間がなくなったり、夜、お風呂にのんびり入れなくなったりする。
時間は、資産の種類では文化資本に入る。時間がないことは、貧しくないだろうか。豊かさの定義はまだこのブログのなかでできてないけれど、食べているものの味を楽しんだり、リラックスするための時間も作れないのは、豊かではないと思う。
思考停止にも対象がある。なにについて考えていることをやめているか?だ。そのなかで、時間について考えることができないのは相当危険な状態にある。だって、なんのために忙殺されているのかがわからなくなっているのだから。
効率よく人生を生きるってなんなんだろうなと時々もやもやとする。どう生きるかなんて人の自由だ。それでも、時間対効果を追求しなくてはならないくらい生きることは貧しいものだったんだっけか。
なぜ本音を他人に打ち明けないといけないのか
人の顔色をうかがってばかりいる。本音を言うのも苦手だ。
それでも思うのは、一度本音を打ち明けると、後々さらに言いづらいことが出てきたときに、それを告げなくても問題が解決されることが多いということだ。
本音は、未来に起きるやっかいなことのサイズを予め小さくしてくれるみたいだ。
真実を告げるなら早いほうがいい。問題が問題でなくなって、本当のことを告げなくても、自分の目的が勝手に達成される状態になる。
生産性の定義は「短時間に大量のタスクをこなせるか」ではない
以前までは、生産性を「少ない時間でいかにたくさんのタスクをこなすか」で考えてた。
でも、それは歳をとって変わってしまった。
いまでは「いちばん大事なことを決めることができる」になった。これがいまの私の生産性の定義だ。いちばんだけでいい。たった一つで十分だ。それ以上はない。
いちばん大切なものを自分で決めることができる能力。それが、生産性なのだ。
残りの人生を考えたときから感覚が変わった。悪いんだけど、余命から考えると大切なことしかやっていけない。
書いていてついでに思い出したことがある。
それは、「考える」とはどういうことかについて。
2005年に、アメリカの作家David Foster WallaceがKenyon大学で行った卒業スピーチから引用する。
「自分の頭で考えられること」というのは、「自分の頭で考えられるということは、何について考えるか、ある程度自分でコントロールできる術を学ぶこと」を端折ったものだ、とようやっとわかってきました。つまり、研ぎすました意識を持ち、自分が考えるべき対象を選び、自分の経験から意識的に意味を抽出できるようになること。それができないと人生はツラいものがあります。
神秘的な一体感ってのは違うかもしれませんが、唯一無二のシンジツ[3]とは、「どう物事を見るかは自分で選択できる」ということです。これこそが君たちが受けた教育が生み出す自由の意味です。「適応力がある」という表現の意味です。何に意味があって何に意味がないのか自分で意識的に決められること。何を信じるか自分で決められること。
これより上の知性はないんじゃないかってくらいの天才的なスピーチだと思う。そして、たぶん生産性もそういうところにあるんじゃないのかな。
スピーチの全文が載っているブログ→これは水です
multiの読み方
オンライン英会話を続けている。何年やってるかもうわからないくらい会員をやってる。
今日は、英語での就職面接を希望した。私が受験者で、講師が試験官だ。仕事のやり方について話しているときに、「マルタイ」と言われた。続く言葉で「タスク」と聞こえたので、それなら「マルタイ」とはなんなのだ?と疑問がわき、会話が止まってしまった。
質問をしたら、「マルタイ」とは「multi」のことだった。マルチは日本語での読みだったのだ。クラスが終わってから発音を調べて改めて驚いた。
まだまだ知らないことが世界にはたくさんある。違う言語圏ならなおさらだ。
これからも出会えることがあると思うとわくわくする。
正解の距離感
苦手なものは星の数ある。距離感は常に上位に存在する。
距離感とは空間によって規定されるものだと思う。図書室だったら静かにしないといけないから心理的な距離は近くなる。全校集会とかなら公的な目も厳しくなるからよそよそしい振る舞いのほうが好まれるだろう。そういう意味で空間が限定されてないところで人と接するのは苦手だ。
どうしてもコミュニケーションに正解があると思い込んでしまう。事前に準備していても人間がどう動くなんて正確にはわからない。できれば普段、そばにいる人には喜んでいて欲しい。
私はめんどくさがりだから、人付き合いもおっくうになるときがよくある。即興でのコミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションは結果である。引き出したい反応を起こせないなら失敗だったということ。距離感はその重要な要素だと思う。
心理に距離があるのはおもしろい。そして難しい。近づきすぎるのがいつも怖い。離れているとなぜ敬語なの?とよく言われる。なにか間に置いて接するくらいがちょうどいいのかもしれない。このブログで書いていることもそれに当たると思う。
断ることに必要なのは優先順位
友達の誘いを今日も断る。心が痛い。社会を裏切っている気分にもちょっとなる。
いま行っていることが優先順位がもっとも高いから、他のことはできなくなっている。個人的にはよい兆候。
なぜかというと、断るのが苦手すぎて、なんでもOKしてしまうところが10代の頃にはあった。何を基準にして断ればいいのか、自分のなかになかったのだ。
断るという行為は、自分のなかに優先順位が存在しないとできない。自分を大切にするという言葉には、自分のなかに優先順位をつくることも含まれる。大切なものを集めていけば、勝手に不安なく断れるようになる。
まず大事なのは、やりたくないことを辞めることだ。そこから生まれる新しい時間を運用して、暇を重視する。
やりたいことが始めれたら、やってみたいことは出来るかぎり入れないようにする。
本番のための練習の量
最初のトライアスロンは、スーパースプリントと決めている。*1
本番のランは2.5kmになるから、練習では10km走れるようになろうと目標にしている。
本番のための練習量ってどれくらい必要なのだろう。2.5kmなら4倍走っておけばなんとかなるだろうくらいでいる。オリンピックディスタンスだとランが10kmまで伸びるから、そのために40km走りましょうというのはつらい。
負荷の質にもいろいろある。走ることなら、スピードと距離だろう。スピードは「この距離をこのくらいの速度で走ろう」という観点で負荷をかけるし、距離なら「今日はこれくらいまで走ろう」と最大距離としてどれくらい走るのかの観点になる。
個人的には、スピードは気にせず、しばらくは最大で走ることのできる距離を長くしていこうと思う。そのうち頭打ちになってくるだろうし、レースを完走することが本来の目的だった。
今日は7km走った。あとは、スイムに身体をならしていこう。500m泳いだら腕が上がらなくなった。水泳は上半身のスポーツだ。
*1:オリンピックディスタンスの1/4の距離
誤解されてもいんじゃない
時間が根本的になくて吐き捨てるように言い逃げされたり、論理的な話し合いでなかったり、素直に答えたら落ち度を自分のせいに暗にされたり。
それでもいいんじゃないかと思う。
誤解に嘆いていても、そのぶんの時間が惜しい。無理解に囲まれていても、唯一であることは寂しくなることではない。より自分の理想的な「秩序だったここではないどこか」を考えても仕方ないんじゃないか。
岡本太郎は「誤解の満艦飾」になれと言ってたという。
これから先、たくさんの誤解をされるだろう。そしてするだろう。誤解についてもうちょい考えを進めていきたい。
走る、踊るは似ている。書くことはどうだろう?
いままで、行為として<考える>と思っていたことが、まったく違うものなのではないかと疑問がわいた。
きっかけは、走っているときだ。
考え事(たとえば老害について)をしていると、ペースが続かず、歩いてしまう。
身体で考える感覚だと、走れる。
今日まで考えていたことは<考える>ではなかったことになる。頭で<考える>というのが以前の感覚ではある。それにしても、身体で考えてる感覚にに比べて、<考える>は浮かんでくるイメージが暗い。楽しくない。
一方で、踊ることは走ることに、とても似ていると思った。
強く地面を踏みしめるリズムが、一定の鼓動を刻みつづけるダンスに近いからだ。気づいてから走るのがより楽しくなった。思いっきり大地を蹴りたくなる。
書くことも、踊るようにできるといい。これから研鑽を積んでいこう。書くことに、<考える>ことは不要なんじゃないかとすら思っている。
老害と空間デザイン
今日は老害になってしまった。
昔やりこんでたゲームのコミュニティに顔を出して、方法論として合理性のある意見を言ったつもりだった。結果としては総スカンで、場は議論のためのものとして盛り上がったけれど、「そこまで真剣に考えなくてもよいのではないか」と言われた。
何を言っても空を切る感じでむなしかった。
私はそのコミュニティからしたら「誰だよお前」って感じの人間だ。毎日通う場所ではない。場に考える習慣を残したかったのだと思う。それに失敗した。
コミュニケーションは結果だ。引き出したい結果を起こせてないから、私の働きかけ方はまったく上手くいかなかった。
つらい問題でもあるのだ。コミュニティには長く続いて欲しい。ゲームの腕をより高く磨いてほしい。でも、働きかけれるのはずっとじゃない。一瞬に近い。
何も言わなければ見捨てたように自分には思えてしまう。任せるということも必要だ。考える習慣を残すために、空間にいた人たちにどうコミュニケーションを取れたか。どのようにデザインすればよかったか。どうすれば結果を引き出せたか。大事なのは結果のための場作りだ。反省。
まあ、楽しければいいじゃんでもいいとは思う。思うんだけども。
老害になっていく思考プロセスってこんな感じなのだろうか。
【トライアスロン】自転車ってどうやって会場まで運ぶの?
最近は5km走れるようになった。
いずれ、トライアスロンのレースに申し込みをすると仮定する。
初出場になる。つまり、自転車を会場まで運ぶ方法がわからない。
友人に聞いたら「車で運べば?」と言われた。他にも方法がないか探す。ウェットスーツの管理もしないといけないからできれば車以外が望ましい。
調べてみると、西濃運輸が『カンガルー自転車イベント便』というサービスをやっている。
出来るかぎり、当日と前日に扱う物は減らしたい。
車を借りる手間や自分で輪行用のケースを用意して運ぶ労力を考えると、運輸会社が提供しているサービスを利用することはよいように思える。
場合によっては自走も…。
書くことがないなら、あいうえお作文でもすればいい
毎日の更新をいちおう、目標にしている(今日で21日目連続)。
書くことがないってことは、厳密にいうと、ありえない。
友人に「それはさすがに嘘だ」と言われた。でも「本当にないなら、あいうえお作文でもして記録をつけたことにすればいい」とそのときは言い返した。
【きょうのできごと】
・あ 青い空が広がる暑い日でした。夕方になっても夜になっても蒸し暑い。
・い インド哲学を専攻していた親戚が、年内には東京に来るそうです。
・う 上野でシャツを買おうと電車に乗っていたときに思い出した。
・え 「エモさ」について友人と話した。もしかして芸術以外のシーンでも使う?
・お 大阪の松尾モノさんの個展、行きたかった…。
という風に、「きょうのできごと」というテーマで、あいうえおのフレームに要素を埋めていけば、それっぽく一日を思い出すことができる。
書くことがないんじゃなくて、「アイデアをひねり出す枠組み」がないだけなのだ。
思考の抽象度が高いことはよいことだ。
でも、自分の目に本当は何が映って何が動いているのか、ぼーっと眺めてみるのもたまにはいんじゃないか。
観察するまでの集中はしてないまでも、ちょっとずつ小さく見ていけば、昨日と同じ今日なんてないこともわかる。
それってつまり日々をよく見てけば、退屈しないってことになるんだけど、どうなんだろう?
【書評】39歳で太宰治もショパンも死んだ / 山田風太郎『人間臨終図鑑(上)』
[この本ってどんな本?]
世界中のありとあらゆる有名人が、何歳で死んだか、死に際はどうであったか、解説されている本。
若くして死んだ人間から順番に書いてあります。
[どんな人におすすめ?]
・歴史が好きで、世界史と日本史の時代感を比較したい人
・人間の最期に興味があるエンディング系の研究調査がしたい人
・山田風太郎のエッセイのとっかかりが欲しい人
[山田風太郎ってどんな人?]
太平洋戦争後、日本を代表する作家。ジャンルは、大衆小説・娯楽時代小説。
たぶん20代・30代の人のなかには、マンガ『バジリスク 〜甲賀忍法帖〜』を見たことがある人もいるだろう。それの原作者です。(ときどきコンビニに置いてある『柳生十兵衛死す』も山田風太郎が原作)
1958年に『バジリスク 〜甲賀忍法帖〜』のストーリー展開が確立されていると考えると、いまのラノベやバトルものに与えている影響ってすごすぎる…。
エロ・グロ・ナンセンスはもとより「どうやって思いついたの?」となるくらいの奇想天外な発想で、忍法帳シリーズも、もちろんめちゃくちゃおもしろい。でも、エッセイのほうが個人的には好き。
[いちばんの見どころは?]
知っている人の最期が読める。それがいちばんのポイントだと思います。
例えば、太宰はショパンと同じ39歳で死んでいる。
今回紹介する上巻では、芸術家・犯罪者の臨終が多く書かれている。
小説家の太宰も音楽家のショパンも、最期がものすごい幸せに見えない。「うっ」と途中でなりながら読むこと請け合い。太宰が少なく見積もっても、4回自殺未遂してるとは知らなかった。
時代感覚の比較も楽しい。
ショパンが死んだ同年に、アメリカではエドガー・アラン・ポーが死んでいたり、日本では葛飾北斎が死んでいたり。(1849年)
また、チェコのプラハでフランツ・カフカが死んだ年には、レーニンがロシアで亡くなっている。(1924年)
カフカは33歳で『変身』を書いた天才だ。しかし翌年には喀血し、結核と診断されている。サナトリウムでの治療もふるわず、最後は41歳で彼はこの世を去る。
死後、机の引き出しに残された手紙にはこう書かれていた。
僕の最後の願いだ。僕の遺稿の全部、日記、原稿、手紙のたぐいは、一つ残らず、中身を読まずに焼却してくれたまえ
僕の書いたものの中で、まず一応認めてもいいのは、すでに書物になった『死刑宣告』、『火夫』、『変身』、『流刑地にて』、『村医者』、『断食行者』だけである。それだけを一応認めるというのは、それが新しく重版され、明日の人々に読まれたいと願うのでは決してない。そんなものがすっかり無くなってしまえばいちばんありがたいのだ。ただ、とにかく一度出版されたものだから、それを持っていたいという人々が所持しているものまで、禁止しようとはしないだけのことだ
さすが、カフカ。アウトサイダー感を感じさせるというか、ヘンリー・ダーガーに先駆けてこの遺書が残っている感じがあります。
[最後に]
私にとって山田風太郎は教養を身につけたいときに頼りになる作家だ。
彼のエッセイを読み始めるようになったのは、『風眼抄』が始まりだ。『自分用の年表』というところで「史実に沿って年表を整理していくと、夏目漱石がイギリス留学していたときに、ロンドンではシャーロック・ホームズが活躍していたことになる」と読んだときからになる。
娯楽時代小説の名手であった理由でもあるのだろうけど、ここまで調べ上げて、読んで楽しい本にもっていく力にはただ驚かされる。
山田風太郎が亡くなったのは、師匠の江戸川乱歩の命日だそうだ。『人間臨終図鑑』の著者にして、そんな最期を迎えるとは偶然には思えない何かを感じさせる。